私は、夏が好きだ。
とくに、夏の夜は、たまらなく好きだ。
時々、夜中に、ベランダーに出て、夜空を見上げる。遠い街から、都会の騒音が微かに
聞こえてきて、雲が目の前に静かに、どこかへ流れて行く、その時の心境は、まるで夢のようだ。
また、夜道を散歩するのも、自分の世界に向かう気持ちになる。
道端の樹の影と、人の家の玄関先に付いている明かりの中に、風がざわざわと、心地よい音を
鳴らす。その時、自分を存分に放任して、好きな人のこと、美しい風景や音楽を思い浮かべな
がら、軽やかに足を運ぶ。夢の中に運ぶ。日頃の悩みから離れて、現実をさっぱり、綺麗に
さよならする。
だから、夏の夜は、私にとって、ある種の魔法かもしれない。
そんな魔法の夜には、もう一つの楽しみがある。深夜読書ということだ。
周りはシンと静まり返っている時、独りでソファーに寝転がって、クラシックの音楽を聴きながら、
いろいろな本を読む。本の世界に入る。考える。その時、もしいい本に巡り会えたら、
言葉で言い表せない喜びは、心地よい布みたいに、全身をやさしく包んでくれるようだ。
こころは踊る。
言ってみれば、尊敬できる、共感できるまた好きになれる人に出会う瞬間、のようなものだ。
一昨日の夜、つい、このような本に巡り会えた。
フジ子.ヘミングの「わが心のパリ」と「耳の中の記憶」という本だった。
手元に、彼女のエッセイの「魂のことば」ともう一冊の自伝書はまだ読んでいないが、
あまりの感動で、思わず目が潤んで、胸がいっぱいになった。
その夜、夢まで自分のため息が聞こえていた。
フジ子.ヘミングのことを知ったのは、彼女の演奏した「奇跡のカンパネラ」というCDだった。
ジャケットの写真を見て、「しぶいおばあさんだね」と、彼女の曲を聴いてみることにした。
が、その音と表現の華麗さにびっくりしてしまった。洒落た個性的な音を出すピアニストだろう
と想像していたが、全然違っていた。その夜に、彼女が演奏したリストの「ラ.カンパネラ」
と「ハンガリの狂詩曲」に、すっかり魅了されて、何時間も聴き惚れていた。
透き通ったピアノの音には、聞く人のこころを深く打つ美しさがあるだけではなく、
ほかのピアニストにない、もっと大きな何かがあると、われながら、少しは感じていた。
だが、あれは何なのかが、彼女の本を読むまで、全然知らなかった。
数日後、図書館で彼女の本を見つけた。夢中に、夜中まで読んでいた。
その時、過酷の運命の中に歩き、こころを音にして、人生を弾いているのだ、と分かった。
「人はみんな、運命の下で生きている」、とフジ子.ヘミングさんが言う。
まさに、その通りだ。日本人ピアニストの母親とロシア系のスヴエーデン人建築家の父親を持つ、
彼女の運命は過酷なものだった。
「….幼い頃聞いた母のヒステリックな金切り声からはじまり、国籍を持っていなかったがために
なかなか海外留学できずに鬱々と過ごした若き日々。そして、成功を目前にして聴力を失った
70年代。クリスマス?イブにふとラジオから流れてきたバーンスタインの「マーリア~、
マーリア~」という曲に胸が引き裂かれる思い出、独り大声で泣いたこともきのうのことのよう。
さらに海外で貧困ゆえに途方に暮れた時代…」が書いたように、パンを買うお金がなくて、
一週間、水だけ飲んでいたことがあるという。
女嫌いのゲイに惚れて、明日、パンを買うお金がないにもかかわらず、空腹を抱えて、最後の
お金でクリスマスのプレゼントを買って、その人の家に行った。食卓に、ご馳走がたくさん並んで
いたが、彼女に出された食べ物は、黒焦げたビスケットだけだった。
それでも、彼女は「貴族のように、微笑んで」、決して、食べ物に手を出さなかったという。
祖国もなく国籍もなく、そして夢もなく、彼女はずっと、貧困の底で、ヨーロッパを流れ歩いた。
明日はどうしょう。これから、どうやって生きていくのか、と心配で心配でこころが塞いだ。
不安に絶望につぶされそうな時期が長かったが、彼女は決してこころまで貧乏にならなかった。
そんな彼女には、晩年に、やっと春が訪れた。
「不幸の分だけの幸せは、きっとある」と彼女がいう。
「神様は私のことを、思い出してくれた。だから、今は幸せだ。」
「幸せというのは、多くを持つことによって、得られるものではない。今持っているもので、
得られるものよ」だから、彼女は「今日も、一所懸命生きよう」としている。
「私の音を聴いて…幸せになってくれたら、私も救われるから..」と彼女は言う。
彼女の本を読み、ますます彼女の音楽に、心が奪われていく。
だから、今夜も、彼女の曲を聴こう。彼女の本を読もう。彼女の心を感じ、涙を流そう。
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